ラップを愛好している皆さん! みなさんが好きな「ラップ」「ヒップホップ」が、どのように誕生したのか、その起源をご存知ですか?
今回は、ラップが誕生するもととなった、アフリカの民族音楽やアメリカの黒人文化などの「起源」に触れながら、最初期のラッパーやその作品をいくつか紹介していきたいと思います。
HIPHOP文化が気になっている方は、ぜひチェックしてみてください!
ルーツは実はアフリカ文化?

20世紀にアメリカで生まれ、今や世界中の若者たちに愛されている音楽、ラップ。
実は、そんなラップの起源、元となっているのは、近代アメリカの若者たちの文化だけではなく、彼らがやってきたアフリカの伝統的な音楽や文化でもあるんです。
まずは、ラップの主要な要素である「韻 (ライム) を踏んだ歌詞 (リリック) 」の起源となった、アフリカの伝統的な口承文化と、アメリカにやってきた黒人の文化について紹介していきます。
アフリカの「グリオ」による伝統
実は、現在の「ラップ」の最も原型となる要素は、アフリカの伝統的な音楽家「グリオ」たちの音楽にまで遡ると言われています。
「グリオ」というのは、西アフリカにおいて、部族がまとまって共同生活を送る上で必要な情報を、楽器の演奏とメロディにのせて部族民たちに伝えたりする役割を担った、世襲の音楽家のことです。
様々な儀式を司ったり、歴史上活躍した英雄の物語や、部族の歴史、各家の系譜、生活上の教訓やルールなどを伝えていました。
アフリカには歴史的に文字文化が伝わらず、人々は重要な情報を口頭伝承の形で伝えていました。そんなアフリカの人たちにとって、グリオの人たちの果たした役割は大変大きく、中には王様の側近として活躍したグリオもいたとか。
そんなグリオの人たちの演奏がこちら。楽器の演奏に合わせて言葉を喋っていく形が、なんとなくラップに似ているという印象を持ってもらえると思います。
ちなみに、グリオの家系に生まれた人の中には、今では自分のルーツである伝統的なアフリカの要素と、世界の様々な音楽の要素を取り入れて独自の音楽を生み出し、世界中で活躍しているアーティストも存在します。
そんなアーティストの代表的存在、ソナ・ジョバルテさんの音楽を紹介しましょう。
ソナ・ジョバルテさんは70代以上続くグリオの家系に生まれ育ちました。
そして、女性で初めてギターに似た「コラ」というグリオが伝統的に使う楽器の奏者となった人物です。
実はこんなものもルーツだった?
ラップの先祖にあたるものは、アフリカの伝統音楽だけではありません。
アメリカにやってきた黒人たちが生み出したものもまた、ラップの重要な要素の中において大きな役割を果たしています。
そのなかで、こんなものも原型なのかと驚くようなものをいくつか紹介します。
①黒人活動家の演説など
アフリカ大陸から奴隷として連れてこられたアフリカ人を主な祖先とするアフリカ系アメリカ人 (黒人) たち。
20世紀の後半、彼らは人種差別を解消し、公民権を得るために大きな運動を起こしました (学校で習ったいわゆる「公民権運動」)。
彼らの指導者として有名なのが、キング牧師 (1929−1968) やマルコムX (1925−1965) です。
彼らは自分たちの権利を訴え、正当性を主張し、また支持者を獲得するために、積極的に演説を行いました。
彼らの演説には、同じ言葉の繰り返し、押韻、声のトーン、たたみかけるようなテンポなど、自らの主張をより伝えやすくする様々な技術が使われており、それらもまた、ラップの要素として取り入れられていきました。
誰もが知っている、有名なキング牧師の「I have a dream (私には夢がある)」の演説の映像です。
彼はこの演説が中で、「I have a dream」の他にも様々な言葉やフレーズを繰り返して使っています (修辞学で言う首句反復)。
こういった要素が、黒人の若者たちによってラップに取り入れられていったのだと思われます。
マルコムXは、キング牧師ほど日本人には知られていないかもしれませんが、彼と同時期に活躍した黒人運動の主要な指導者の一人です。
キング牧師は、いわゆる「非暴力、不服従」の平和的な運動を強調したのに対して、マルコムXは最も過激で攻撃的な運動を行ったとされています。
そんな彼の演説を聞いてみると、聴衆を煽るような、言葉をどんどんと畳み掛けていくリズム、平調なイントネーションなど、ラップ的な要素を感じられるような気がします。
②NY・ブロンクスの黒人パーティ「ブロックパーティ」
また、ラップの直接的な起源、元祖とされるものとして、ジャマイカ移民のDJクール・ハーク (1955−) や、ニューヨークの黒人街ブロンクスで1970年代に盛んに開かれていたブロックパーティというパーティが挙げられます。
ブロックパーティというのは、1つの街区 (ブロック) ごとの住民が集まって行う、無料の野外音楽イベントのこと。貧困層が多く、当時流行していたディスコに行くお金もない者が多かった黒人の若者たちにとって、唯一とも言っていい楽しみとなっていました。
そんなブロックパーティを1970年代に主催し、現在「ヒップホップの元祖の1人」とされているのが、先程あげたクール・ハークという人物です。
彼はアフリカのジャマイカで生まれ、1960年代にニューヨークのブロンクスに移住してきました。1973年に彼は、妹の誕生日パーティを兼ねてブロックパーティを主催しました。
そこで彼はDJとして活動していましたが、やがて参加者たちが、ボーカルのない間奏部分でより盛り上がり、踊っていることに気づきます。
そこで彼は、複数のレコードを用意して間奏部分をつなぎ合わせて、延々と間奏部分を再生するテクニックを試したところ、これが大反響を呼び、一躍彼のパーティは注目されるようになっていきました。
ハークが発明したこの技法は、ブレイクビーツと呼ばれ、ヒップホップの最も重要な要素の一つとされています。
やがてこのブレイクビーツの部分では、単に参加者が踊るだけではなく、MC (Master of Ceremonies 、 つまり司会者、イベントの盛り上げ役) という役割の人物が、即興でトークを行ったりするようになります。
やがてこれがラップへと発展していき、MCは初期のラッパーたちの呼び名となっていくのです。
クール・ハークの主催したブロックパーティからは、ヒップホップの最初期を気づいた著名なアーティストやラッパーたちが誕生していきます。
彼らについては次の項目で触れていきたいと思います。
③アフリカ系アメリカ人の伝統的な言葉遊び「ダズンズ」
また、とくにフリースタイルのラップの起源としてよく挙げられるものに、「ダズンズ the dozens」と呼ばれる黒人たちの伝統的な言葉遊びの習慣があります。
これは、観客がいる前で、プレイヤーが一対一で向かい合い、互いの悪口 (特にプレイヤーの母親の悪口) を言い合い、どちらが早く激昂するか、または言い返せなくなるかを競うゲームです。
観客はそのやり取りに対して野次や賞賛を投げかけ、これはという罵りには、「決まった!(Ohhhh! Burn!)」と叫ぶのがならわしだとか。
あくまでも喧嘩や罵倒が目的ではなく、罵倒に対する忍耐力、そして言葉の表現力を競うもので、これが上手い黒人は尊敬を受けるのだそうです。
ちなみに、このゲームの「ダズンズ」という名前ですが、もちろん12個を意味する「ダース」という意味です。
ダズンズの由来は、黒人が奴隷として売られていた時代に、高齢で働く力がない奴隷や、能力が低い奴隷が、1人1人ではなく、ダース単位で (by dozens) 売られていたことだと言われています。
道具として売買されていた黒人奴隷にとって、1人として扱われず、まとめて商品として売られることは、最も屈辱的で辛い出来事だったことでしょう。
このように考えると、互いを罵りあって忍耐力を競う「ダズンズ」という伝統的なゲームも、彼らの奴隷としての悲しい歴史に基づいているものだと言えるのかもしれません。
まとめ
ラップの起源となった様々な音楽文化や要素について触れてきました。
起源を知ることで、今までよりもラップに関心を持てたはず。聴くときも作るときも、ルーツを意識すればより楽しくなります。
先人に感謝し、ラップを楽しみ続けましょう。
